2019/4/4 2017/11/14、01/17、2016/10/23(加筆改編)、08/15(加筆、誤変換訂正)07/25、29、06/19、28(文章調整) 2016/05/26 (公開)
日蓮書簡の引用経文の誤り
始めに
支那、:
其ノ國ノ人、多ク思慮スル所ハ、計詐スル所多シ、故ニ以ッテ名(支那)ト為ス。 即チ今ノ 此ノ漢ノ國、是レ也。
これは漢時代に漢人が解説した経文の支那の意味です。(一切經音義)
釈迦は経文で、謀略をめぐらす人々の国(地域)を震旦やシナと言っています。
釈迦が経文に、魔道に染まると予告した支那仏教ですが、「女人は地獄の使い」だとか、「仏が目の玉を落とすような間違いをおかしたとしても、女人に成仏させるような間違いはおかさない」などと、呆れるばかりのデマを日本に伝えた支那仏教です。
天台の摩訶止観、法華経玄義にもその出鱈目さが見えます。
天台を学んだ日蓮聖人が [末法初めの五百年中(西暦1050年迄)]と, 複数の書簡に限定した「法華経の広宣流布達成期限」でしたが、それは完全な失敗に終わりました。
しかしその論理は最初から破綻していたのです。
日本仏教がいかに支那魔道の捏造経文に翻弄されて来たか、 日蓮書簡の引用にはその具体例がいくつも見うけられます。
広宣流布迄あと一歩のところで起きた天文の乱で、京を追払われ、以降法華宗の名も使えずにいた処で期限を迎えた法華信仰は、その論理の破綻を目の当たりにしたのです。
躊躇ない捏造書簡・論理矛盾の伝承などが、後五百歳以降の資料に湧き出し、それ等には当然ながらオリジナルの日蓮書簡が存在せず、写本ばかりというその訳は云うまでもない事でしょう。
期限内に広宣流布がならなければ、釈迦多宝は大ウソつきで地獄行きだと迄書いた日蓮ですから、彼は釈迦以上の存在でなければならず、そこで日蓮本仏論の創出となりました。
正義と信じた日蓮法華宗の宗旨破破綻を経験し、其々の生き残りを模索した僧達に、今更正義感を求めても意味はありません。
日蓮何とか宗と、日蓮ブランドを冠した自称日蓮法華宗のもどき宗派の営業が、現在続いている訳を知る事は、歴史や釈迦仏教を正しく学ぶ助けになります。
日蓮の論理が破綻した原因は何処に在るのか。
「臭いものには蓋」を旨とする現・日蓮宗系にとっては、天文の破綻を総括する事は、即ブランド否定となります。
従って間違いを見つけようともせず、例え見つけてもそれを云う事は絶対的タブーなのです。
論理破綻の必然性は、その論理の構成基の経論、資料の解釈ミスに在ります。
それは極て当たり前の事です。
自分は日蓮書簡に引用された元文の間違いは何か、その理由迄が支那仏教にあると解ったので、その幾つかをこのブログに明かしてゆく事にしました。
「銀色女経」に対するトンデモ解釈や支那の捏造経での「女性成仏」に関する、あり得ないデマや誤りを、支那からそのまま導入したのが日本の仏教で、今もそれを流布しています。
それを知って自分は数年前に「日蓮書簡の引用経文はどのくらい正確か?」というブログを発表しました。
私自身の経験から、大事なことは人の話を鵜呑みにせず、自分の目でも確認する事とし、それを勧め、その大切さを言いたいのです。
更に「日蓮聖人の誤り このままで良いのか」で追い打ちをかけましたが、決定的な不都合には一切反応せず、小さいブログに過ぎないと無視を貫いています。
他人に勧める以上、自分もより精密に、全ての文をチェックをしておかなければ話にならないと思いますので、当初のブログのために調べた400件程の結果の再確認と、そのアップデートを、自分への宿題にしておき、日蓮が引用した経を全てチェックし終えました。
思い出す徒然に、ダブル、トリプルとチェックをかけて行くうち、次第に大正蔵経の検索ソフトの癖にも慣れ、更には大正蔵経もバージョンアップされています。
自分の検索スキルも上がってか、以前は見つけられなかった経文も、次第に見つけ易くなっています。 蔵経の安国論データに一文字脱字がある事を見つけるほど、精査しました。
それに伴って間違いと記録した案件の幾つかは正解であった事が判ったりで、調査の正確度も上がりました。
日蓮引用経文の調べ始めの対象は、芋づる式に1000ヶ所以上の関連するデータを調査し、500件程を選んでエクセルにファイル記録して、ワークノートとしました。
正否の判定の基本はシンプルで、日蓮書簡に引用された通りの経文が大正蔵経に存在する事。(趣意も含む)
経そのもの、若しくは経文自体が全く存在しなかったり、完全に間違って引用されているものは、当然不正解マークをして、リチェック対象としました。
取意(趣意)と記された引用文は14書簡に17文在ります。
それ等は、日蓮聖人自身が明確な意識を持って経文を解釈し引用したものです。
しかしながら取意の断りが無い意訳や経文通りではない文体が書かれている事もあって、戸惑う事が度々ありました。
そのような場合、同じような意味の経文を出来るだけ多く探し出して比較しますが、どうにも解せない経文にない文章には ? マークを付け、ハッキリするまでは不正解としてカウントしています。
その結果、正解率は数年前に書いた予想より左程良くはならず、間違いもしくは?マークは現在96件残っており、正解率は80%程のままでした。
当初、自分は日蓮書簡の誤りをいちいち公表するつもりはなく、学生ならば自分で調べ、研究するべきだと、ヒントを与えたつもりでした。
日蓮宗関係を研究する方々の多く、ましてや信者にとっては日蓮聖人の誤りを調べる事など恐れ多い事、その躊躇も在ってチェックはされないだろう、という事は容易に想像出来ます。
それにしても自分が平成談林に指摘してから4年程過ぎても、指摘に関してはほぼ無反応で、研究者や宗教関係者の調べに役立ったのかどうかは判りません。
日蓮聖人に誤りがあったからと言って、自分自身はアンチ日蓮にはなっていません。
日蓮聖人の誤りというより、殆どは引用元が誤っているのですが、その中には故意に捏造された物すらある事が、多くの経文との比較で判って来ます。
実は実、誤りは誤りとして、学術的に知っておく事は、日蓮書簡を理解したいなら絶対に必要です。
彼らが至上と仰いだ筈の法華経の解釈にすら、誤った部分が見えますが、その殆どが支那、天台の影響である事も判ります。
また日蓮が遊学中に、誤りをそのまま聞き学んだと思われる節も多々あります。
例えば、 頻婆娑羅王は多くの経にその名が登場し、大集経では仏が直接王に語り掛けます。
ですが彼を殺す、殺される話はどの経にもありません。
発生元は神清の北山録の「提婆達多作謀弑父囚殺頻婆娑羅王」で、これもまた支那で造られた話です。
また、法蓮抄と妙一尼御前に出て来る「頻婆舎羅王」の「舎」の表記ですが、経文は全て頻婆娑羅王です。
他にも妙一尼御前の耶輸多羅女は、多羅ではなく陀羅、耶輸陀羅が正解です。
これらは自らの目で経を読んでいたら間違えなかったのではと思います。
同書に {天台摩訶止観に此の経文を釈して云く「譬えば七子の父母平等ならざるには非ず然れども病者に於ては心則ち偏に重きが如し」等云云とこそ仏は答えさせ給いしか、}とあります。
この涅槃経の話はとてもお気に入りなようで、觀心本尊抄、華取要抄 、太田禪門許御書 等に使用しています。
しかし、摩訶止観にはこの七子の話がない事は、ちゃんと読んでいれば分かる筈です。
支那仏教を耳学問したことによる誤りに翻弄された事は残念ですが、日蓮聖人が法華経の「五五百歳中に広宣流布」を目指した純粋に姿は、仏教史上称賛に価する宗教者の姿であった事は事実ですから、その点への自分の最高評価は変えようがないのです。
そこで自分は 誤りを見つけた時には真摯にその原因を探し、彼自身の誤りかどうかを確認しようとしました。
そんな作業はとおに成されていなければならなかった事ですが、魔道に犯された脳には気づかないのでしょう。
華厳経や般若経、法華経、涅槃経など、複数の翻訳があるものは、各バージョンの表現を比較し、使用経典が特定出来た物等々、結果をファイルにノートした500件が今回のシリーズの元です。
現時点での自分の調査の結果は未だ完ぺきとは言いきれませんが、ここに示し置いて、若し自分の調査不足の部分は、ぜひ教えていただきたいものです。
日蓮書簡の引用に間違いがある事を指摘される事は、今更どうしようもない事でしょうか。
信徒には言う通りに信心していれば良いと強要するカルト宗派が未だ存在していますが、支那魔道の闇の中では、信徒は見る目を失うのでしょう。
自分の指摘は一つのスポットライトのように、中華魔道の闇の極一部分だけを見せるだけでしょう。
そもそも女性を地獄の使いなどと卑下する多くの捏造経疏の文に出会って、
慈悲深い釈迦がそのような事を本当に言ったのだろうか?
そういぶかった自分は、既存宗派に属する信仰者ではありませんが、その点では誰よりも釈迦を信じていた者だったようです。
自分はその疑問を払拭したくて、蔵経の元文の調査を始めたわけです。
経文の誤用や捏造経文の使用は、釈迦のオリジナル、仏の心を曲げる行為です。
真の仏教者なら、決して出来る事ではありません。
昔の僧侶達が何故支那仏教をそのまま受け取ったのか、当然自分は考える訳です。
経に当たって直ぐに自分はそれ等が捏造の類だったと分かりましたが、闇に長くいる業界人の目は、深海の生物の眼の様で見えるものが違うのでしょう。
その輩が仏教を名のり、釈迦の経を利用し、捏造し、末法を理由に自派の開祖より釈迦を格下に置く、そういう宗派の乱立が日本仏教の実体でした。
と言うか、今もそのままです。
この事象が、滅後千年の支那で仏教は魔道に染まると、分別経に示されていた事を知って、自分は釈迦の脳力には呆れるばかりで、経って面白い!と思うようになりました。
日蓮書簡に戻りますが、富士の堀日亨師は、自派の伝疏書簡にも怪しい部分がある事を観て、怪しい箇所の横に線を引き、偽造箇所と判断した部分には後日解明されることを望むと、二重線を付けて出版しました。
自分はその遺志を尊重して平成檀林2を書いています。
派租の書簡の経文引用に誤りがある事を確認したなら、その部分は訂正、若しくは不使用とすればよいだけです。
仏教者なら仏教者として、本来の釈迦の教えに随って、「小欲知足」を実践し、如説修行すべきです。
それはどの経文にも書かれている事です。
分別経に示された通りに仏教の心が殆ど滅んで、金欲主義がはびこる21世紀の現在、「小欲知足」の生き方こそが後五百歳にふさわしい仏教の修行となるでしょう。
支那仏教書等を見る事は、人生の時間を無駄に消費して心を穢す事と心得ますので、ここは経文との比較だけに絞リ、経以外でも重要な誤解であれば、番外編を書こうかと思います。
それでは先ず、日蓮聖人なら所持していて間違う筈はないだろうと勝手に思い込んでいた無量義経から始め、 次に、その殆どが法華経と思われる「経にいわく・・・・・」の引用文をチェックした結果を書きます。
実はそこにすら誤があったので、その引用例を示します。
その後「華厳経にいわく」とか「金光明経にいわく」など、経名指定での引用の誤りについて書き続けようと思います。
では日蓮聖人の論拠の最重要文にして最大の誤りの元凶、「未顕真実」から始めます。
どうやら日蓮聖人は「無量義経」を所持していなかったようなのです。