2 日蓮聖人は無量義経を読んでいなかった。
[無量義経]は530行の比較的短い経で、その内容は法華経のエッセンスが書かれたダイジェスト版法華経です。
そのせいか、法華経の開経、(プロローグ)として扱われています。
日蓮書簡にもそのように述べた部分が複数回あります。
日蓮聖人は無量義経の文や経名を100回以上、書簡に使用(引用)しています。
それ迄は日蓮聖人なら法華経の開結「無量義経・普賢経」を当然所持されていただろうからまさか間違いはないだろうと、勝手に思い込んでいました。
しかし「上行再誕話の言いだしっぺは誰か5」にも書きましたが、「産湯相承」に於ける法華経の品名に誰にでもわかるミスがあった事を思い出し、面倒でも全てのチェックは必要だと思い直しました。
そこで全ての引用部分を最もオリジナルに近い大正蔵経の無量義経の文章と比較した結果です。
(チェックした引用書簡、
唱法華題目抄、守護国家論、念仏無間地獄抄、真言見聞、行敏訴状御会通、開目抄、報恩抄、下山御消息、十法界事、顕謗法抄、三世諸仏総勘文教相廃立[総勘文抄]、諌暁八幡抄、一代五時図、一代五時鶏図、月水御書、法門申さるべき様の事、教行証御書、六郎恒長御消息、南条兵衛七郎殿御書、薬王品得意抄、神国王御書、上野殿御返事、上野殿母御前御返事、etc)
更には、「前四十余年の経経をば其の門を打ちふさぎ候いぬ (撰時抄①)」とか、
「四十余年の経を捨て (当世念仏者無間地獄事②)」、
或いは 「無量義経に嫌わるる諸経 (顕謗法抄 3)」、
「 経経を未顕真実と悔い返し(善無畏抄④)」
等の書き方で使われています。
無量義経の引用の目的の殆どは、法華経以外の経を用いる諸宗を否定する根拠としての使用です。最も大事な経の筈です。
無量義経からの引用の多くは 「四十余年、未顕真実」、という言葉で、これが日蓮聖人の立論の大基の論拠です。
「四十余年と未顕真実」と2フレーズ1セットの使用に限らず、その読み下し文も含め、上記に挙げた書簡の41か所の引用部分の全てをチェックしました。
「未顕真実」の言葉は誤りである事は 既にブログ「未顕真実」、「日蓮聖人の誤り」や「法華経を考える」、「中華魔道に犯され続ける日本」等に、何度も書いて来ましたので、ここでは書きません
が、 幾度も大正蔵経を読み調べるうちに、果たして日蓮聖人は「未曾顕実」と書かれた無量義経を読みながら、引用には別の表現を用いるだろうか? と思うようになりました。
そして日蓮書簡には大正蔵経の無量義経には使われていない表現が使用されている事がわかったのです。
「未顕真実」以外の無量義経からの引用も、殆どが「他経否定、法華経優位」の説明ですが、その解説中に
「我先道場」 という言葉が 開目抄㊷、一代聖教大意㊸、聖愚問答抄上㊹、当体義抄㊺、小乗大乗分別抄㊻、釈迦一代五時継図㊼、寿量品得意抄㊽、に出て來ます。
「我先に道場菩提樹下に端坐すること六年」と読み下しますが
オリジナルの無量義経の表現は、「我先に」ではなく、「自我道場 菩提樹下 端坐六年」と書かれているのです。
「我先道場」の表現は 注無量義經 (2193) の 我先道場菩提樹下端坐六年得成阿耨多羅・・・ の表現でした。
他にも 「初に四諦を説き ・・・・次に方等十二部經摩訶般若華嚴海雲を説く」 という文章が「守護国家論㊾」や「開目抄㊿等に多用されているのですが その「華嚴海雲」も 注無量義経 の表現で、オリジナルの無量義経は 「華厳海空」 と書かれているのです。
雲 ではなく 空 です。
若し日蓮聖人がオリジナルを所持し、それを使用していたならば、オリジナルの「未曾顕実」を未顕真実にしたり、 自我を我先に、空を雲にと、わざわざ、注無量義経の表現に書き直すとは思えません。
法華玄義 (No. 1716)を見ると、 「無量義云 二道三法四果不合 至法華皆合故不論廢 成道已來四十餘年未顯眞實」と、智顗が書いています。
実際の経はT0276_.09.0386b07: 其法性者亦復如是。洗除塵勞等無差別。三法四果二道不一
です。
不一 とは一つではないという事で、不合とは意味合いが殆ど反対と言う程違いますし、不合という言葉は無量義経には使われていません。
また、至法華皆合故不論廢 の文を、四十余年未顕真実 の間に入れていますが、そのような文もまた経文には存在しないのです。
「中華魔道に犯され続ける日本6」 に 未顕真実の捏造を疑って書いておきましたが、注無量義経は支那から天台を伝えた伝教大師最澄の書いた物です。
という事は、支那天台版の無量義経が大正蔵経所載の物とは違っていた事は確かでしょう。
「日蓮書簡に取り上げられた無量義経」の108ヶの引用を調査をしましたが、「未顕真実」の文に関する箇所は全て X で、それは40ヶ所以上あります。
自我道場、海空、の表現は文章への影響は少ないので X の判定をせず ? としました。
ちなみに富士系の法華経開結は天台宗版である事が確認出来ましたが、他は大正蔵経版しか調べていません。
次回はエピローグ、「普賢経」の文を調べた結果の?に就いて報告します。
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