29 涅槃経 4
引用 涅槃経に云く八十入滅
書簡 一代五時継図 131
経に関する謂われには矛盾する事も多々あって、半分は嘘で、半分は本当の事に依った伝えが加味されたものと考えている。
涅槃経には「八十入滅」 の言葉は無い。
書写し、読誦し、解説し、弘める事、経文には1100回以上も書かれているから、拙い表現の五乗しかない時代でも 口述筆記が行われた事は間違いない筈だ。
釈迦本人が口説出来たのは、亡くなる直前までの話で、 葬儀の様子やその後の事も事細かに書かれた涅槃経は、どこまでが後代のアレンジかわからない。
他の経典もほぼ似たような経過をたどったものだろう。
釈迦の入滅に関しては、いきなり沙羅双樹の涅槃から始まる阿含経だが、それを一番若い当時の経だとする「五時八経」説は、イイカゲンな話なのだ。
釈迦の死因とされる、毒キノコを出されて体調を崩し、故郷への旅の途中に亡くなったとの謂れだが、釈迦は自分達をもてなそうとしてくれた者が、釈迦に毒キノコを盛ったと後に言われないようにと、最後まで配慮をされている。
そのように慈悲深い伝えを知って、「女性は地獄の使い」だとか、「仏がたとえ間違って、眼ン玉落としたとしても、女を成仏させたりするもんか」 なんて言うだろうかと、自分は謂れを疑ったから銀色女経を読んだのだ。
雪山童子が半偈を岩に書き残して、虎に身を投げる施身聞偈の話は、橘夫人厨子の絵で、子供のころに教わった。
だから「如是我聞」は文字が無かったからだと言う話との矛盾だらけの伝承には、子供のころから 口には出せなかったが、ザケンジャネー との思いもしていた。
それが涅槃経かどうかは知らなくても、いい話はそれなりに、ダメな話は アホ臭いと判っていた。
大学時代に現実とマッチしない宗教とは完全にオサラバして、外資系に務めて、世界中からいろいろな事を学ぶ事が出来た。 だから今、このブログを書いている。
涅槃経にある「八十」は 入滅ではなく 実は超物理化学の 「八十種好」 に就いてのみだ。
涅槃経の八十入滅とは、日蓮聖人は何を見たのか、天台で学んだのか、 涅槃経以外にも、その経を直接読んだとは思えない取り上げ方が多すぎる。
*以下は間違いではないので カウントしていないが、 検索に注意が必要なので参考のためにファイルしたものである。
引用 涅槃経に云く「法華の中の如し」等云云
書簡 報恩抄
引用 涅槃経に云く如法華中八千声聞得受記(竹冠に別)成大果実如秋収冬蔵更無所作云云、
書簡 御講聞書[日向記]
如法華中 の言葉は 経文は「如法花中」出ないと検索できない。 花と華は同義だから、検索可能にしてもらいたいものだ。
日蓮聖人の引用した経文の20%は間違いだった。
その原因は中華仏教の間違いをそのまま引き継いだからである。
「如法華中」 の言葉は般涅槃經疏 (1767)にも在るが、 当然、智顗の法華玄義、33.0803a16 ページ を引用したものだ。
妙法蓮華經玄義 (No. 1716):にも 「又涅槃云。 是經出世。如彼果實。多所利益安樂一切。能令衆生見 如來性。如法華中」 うんぬんと 涅槃経謂くと書いている。
同じことは文句にも書かれている。
報恩抄では 如法華中 八千聲聞得受記を付けて、
「所謂経文に云く「是の経の出世は乃至法華の中の八千の声聞記を受くることを得て大菓実を成ずるが如き秋収冬蔵して更に所作無きが如し」等云云、 とも引用している。
色々とoriginalには無い文章の涅槃経を使っていた智顗は 華 文字の涅槃経を使用していたのだろう。
「所謂経文に云く「是の経の出世は乃至法華の中の八千の声聞記を受くることを得て大菓実を成ずるが如き秋収冬蔵して更に所作無きが如し」等云云、 とも引用している。
色々とoriginalには無い文章の涅槃経を使っていた智顗は 華 文字の涅槃経を使用していたのだろう。
この辺で、130か所の引用間違いと 96の引用文ファイルを書き上げたので、 このシリーズを終わりにしようと思う。
題名の90の間違いは、必ずしも90ピッタリではないが、100の間違いとするには気が引けるので、90にした迄で、 とりあえず、日蓮聖人の読んだ経は全てチェックし、 内容もかなりの部分を読みつくした。
多分自分は今の日本では一番経を読んだ一人だろう。
般若部は シュレジンガーが判らない人は読むだけ無駄だ。
もっと言えば、 六萬恒河沙の地湧の菩薩達を未だ銀河だとわからない人が経を読んで分かった気になったならば、それは脳の機能に異常を来たした証拠だ。
釈迦の教えを学びたければ、現代の文章で、自然科学を研究する事をお勧めしたい。
先日世界一貧しい大統領と呼ばれたムヒカ氏が来日して、反響を呼んだ。
彼は何年も獄中で情報に飢えていた時に、ようやく本を読むことを許されたが、渡された本は自然科学の品ばかりだった。 それでもむさぼり読んだ結果、悟りを得たかのような人格になったのだそうだ。
ブログに書いたが、経文は 元素(十八不共)や起塵に物質が始まる事を教えている。
釈迦は 自然の科学の法則を 言葉のない時代に、知識のない人に判る方法で語らなければならなかったのだ。
今の言葉で最新の知識を学べる我々が、 何の理由があって経に時間を咲くことがあろうか。
法華経は 2000年も経てば釈迦の言いたかったことが正しかった事が解る時が来ると留め置くと、そう書いたのだ。
それが判れば、もう現代の最新科学を学べばよいのである。
中華の魔道に染まり、釈迦の仏教は滅びると釈迦自身が書いているのだから。
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