7 「経にいわく」4 如来の使い
引用 F 「経に云く「其の人命終して阿鼻獄に入らん」と云々
書簡 59立正安國論、60撰時抄 61、如説修行抄 62、太田禪門許御書、63、上野殿御返事 「刀杖難事]
問題点、 「其人命終入阿鼻獄」 のそのままの言葉は経にはありません。
そのことは引用Dに説明しましたが、経の趣意を纏めた造語の部類ですので ? マークです。
「其人命終入阿鼻獄」 そのままズバリの言葉は
「其人命終入阿鼻獄」の言葉は、法苑珠林 (2122) .53.0416b04:ページに在ります。
法苑珠林は唐の道世が著した経文の解説ですから、経を読む人には共通の理解なのでしょうが、「経にいわく」と引用する場合は道世の文より、先ずはオリジナルの経文そのままを写すのが基本でしょう。
釈迦のオリジナルである華厳経すら「爾前」として捨て去る事を主張する者が、他人の解説を「経文」として用いるのは、全く筋が通りません。
釈迦のオリジナルである華厳経すら「爾前」として捨て去る事を主張する者が、他人の解説を「経文」として用いるのは、全く筋が通りません。
引用 G 「内典の仏経に云く「恩を棄て無為に入るは真実報恩の者なり」等」
書簡 報恩抄 64
これも 上記と同じで 道宣の四分律刪繁補闕行事鈔 (1804) 又は 道世の法苑珠林の言葉を引用したもので、「棄恩入無爲」とは頭を丸めて出家するための受戒をする事です。
四分律刪繁補闕行事鈔か法苑珠林の前後の文章を読めば、出家する際の事を言っているのです。 しかしこの言葉は釈迦の「経」ではなく、 道世は 清信士度人經の言葉としています
勿論「清信士度人經」なる経は釈迦の経ではありませんので 大正蔵経には乗っていません。
「経にいわく」は??というより間違いです。
四分律刪繁補闕行事鈔か法苑珠林の前後の文章を読めば、出家する際の事を言っているのです。 しかしこの言葉は釈迦の「経」ではなく、 道世は 清信士度人經の言葉としています
勿論「清信士度人經」なる経は釈迦の経ではありませんので 大正蔵経には乗っていません。
「経にいわく」は??というより間違いです。
唐時代の書ですから原文は漢文の 「棄恩入無爲 眞實報恩者」 で、今は日蓮書簡は殆ど下し文で出版されていますが、オリジナルの報恩抄は、この部分はそのまま漢文で書かれています。
引用 H 「故に経に云く四百万億那由佗の国の人に施すに一一に皆七宝を与え又化して六通を得しむるすら・・・・」
書簡 大夫志殿御返事 [付法蔵列記] 65
これも経文には見つからない言葉なので ? 評価です。
出所は 摩訶止觀 (1911) で
故經云。施四百萬億那由他國人。一一皆與七寶又化 七寶又化令得六通・・・・・
日蓮書簡はそのまま引用していますが、経名を明かさずに「故に経にいわくと」 と書いた智顗も、オリジナルの経には当たってはいないのでしょう。
引用 I 経に云く「即如来の使なり」と又云く「眼目なり」と又云く「日月なり」と
書簡 下山御消息 66
法師品に「則如來使」の言葉ははありますが、それが眼目だとか、日月だと言う文はありません。
眼目 日月は窺基(きき、慈恩大師)の [妙法蓮華經玄賛 (No. 1723)の言葉,で
0851c26ページに: 「 又爲眼目作導明故 又爲日月 開照出世正覺路故] と在りますので それによるかと。
引用 J 「経に云く「能説此経能持此経の人則如来の使なり」
書簡 四条金吾殿御返事 [源遠長流御書] 67
前の引用 I と同じ 如来の使いの言葉ですが、この文は法華経の複数の品にまたがる文章をひとまとめにアレンジした、「造語」と言ってよい、経文を端折った言葉です。
出所となったとみられる経文は
① 見寶塔品0034a22:ページの 若佛滅後 於惡世中 能説此經 是則爲難
② 34b01ページの 我滅度後 若持此經 爲一人説 是則爲難
③ 分別功徳品 46a15ページ:に 若能持此經 則如佛現在 が在り、
④ 法師品 30c26ページ に 世廣演此經。若是善男子善女人。我滅度後。能竊爲一人説法華經乃至一句。當知是人。則如來使如來所遣行如來事
でしょう。 これらをまとめると「能説此経能持此経の人則如来の使なり」と言えるでしょう。
でしょう。 これらをまとめると「能説此経能持此経の人則如来の使なり」と言えるでしょう。
複数の経文をひっくるめて意訳した言葉で、意味合いは間違いではありませんが、かなりの範囲を大胆にアレンジした言葉を、「経にいわく」として 良いんですかネ?
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