2016年5月26日木曜日

14 金光明経 の怪

2018/07/21(改編)2016/11/12、08/09、07/21、(加筆調整) 2016/06/05 (公開)

14  金光明経 の 怪




引用    金光明経に云く「枉(マ)げて辜(ツミ)無きに及ばん」と  


書簡    災難対治抄  立正安国論、 守護国家論           53 54 56


この文は、金光明経ではなく、大方便佛報恩經 (0156) 0132b13-ページ 「 茹食飮血噉肉 更相殘害 枉濫無辜 或父食子 或子食父父母」 の言葉の一部で、金光明経には存在しません。

どうやら日蓮聖人は金光明経を読んでいなかったようです。

では何処からこの文を、金光明経の文言として得たのでしょうか。


引用    天台云く「金光明経に云く一切世間所有の善論皆此の経に因る、 57

書簡    開目抄上


一切世間 所有善論 皆因此經 の文は 摩訶止觀 の言葉です
46.0077b01ページ、  佛説。非外道説。光明云。一切世間所有善論。皆因此經。

しかしこれも金光明経には存在しない言葉です。

天台云く」として金光明経の文を引いている事から、やはり日蓮聖人は金光明経は直接読んでいなかった、つまり手元に無かったのは確実のようです。

金光明経を自分で読めば、止観 に紹介された言葉が金光明経に存在しないと分かり、
智顗もいい加減さがも判ることです。

智顗は金光明経玄義にも金光明経文句にも「一切世間所有善論。皆因此經」と
金光明経に無い文を「光明云」と書いていますから、天台智顗自身も又、経を読んでいない事は明らかです。

経に存在しない文を「光明云」と書く事は、捏造の疑いというより捏造そのものです。 


引用    金光明経に云く 「其の国土に於て此の経有りと雖も未だ甞て流布せしめず
       捨離の心を生じて聴聞せん事を楽わず」 

書簡    立正安国論 86


金光明經 (蔵経No. 0663)の元文は、「世尊。若有人王。於此經典 心生捨離 不樂聽聞」 0343 b20 ページです。
見た通り、「心生捨離不樂聽聞」を導く文は 「此の經典に於いて」です。

前後の経文を読んでも、「此の経有りと雖も」とも「未だ甞て流布せしめず云々」とも言っていません。

上に示した金光明経の元文は、四天王の問いの中の言葉です。

それに対する仏の答えは 次ページ、0344b08~ からで、
 
「 爾時世尊。以偈答曰
此金光明 諸經之王 甚深最勝 爲無有上  十力世尊 之所宣説 
汝等四王 應當勤護 以是因縁 是深妙典 能與衆生 無量快樂 
爲諸衆生 安樂利益 故久流布 於閻浮提 能滅三十 大千世界 
所有惡趣 無量諸苦 閻浮提内 ・・・」 と

仏は「久しく流布させてきた」 と言っておられます。

それに反して、「此の経有りと雖 も未だ甞て流布せしめず」
「金光明経に云く」とは、アレンジにしても違い過ぎで、全く無理な注釈です。


安国論に引用した、その文章、 「 於其國土雖有此經未甞流布 心生捨離不樂聽聞」 は
実は金光明経の経文ではなく、註釋 (明一集2197) 0771a20-0771a23: の言葉です。

日蓮書簡には 金光明経の文として十書に引用していますが、上記の四書簡に間違いがありました。

金光明経については 再度取り上げます。 


それにしても支那仏教は、何故このような註釋をしてまで仏説を捻じ曲げたがるのか 

仏説分別経を知るまでは不思議でした。 

こうして支那魔道汚染の実例を知った以上、読者に知らせるのも、生かされた自分の使命かと。 

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