23 悲華経 付法蔵経 仏蔵経
悲華経
引用1 悲華経に云く我が滅度の後末法の中に於て大明神と現じて広く衆生を度せんと文。
引用2 悲華経に云く第五百願に我来世穢悪土の中に於て大明神と現じて当に衆生を度すべし文。
書簡 一代五時継図 (上記二引用共) 110,111
悲華経 (No. 0157)という経は存在するが、該当の文章は無い。
上記の引用「悲花經云 現大明神廣度衆生云云」は、天台宗の 溪嵐拾葉集 (2410) にのみ見られる言葉だ。
「悲花經云 現大明神廣度衆生云云」 (76.0511b26ページ)
つまり天台宗で学んだ時にノートしたと思われる。
「悲花經云 現大明神廣度衆生云云」 (76.0511b26ページ)
つまり天台宗で学んだ時にノートしたと思われる。
「現大明神」(大明神が現れる)という言葉も概念も、経文には存在しません。
唯一 「大明神力」という言葉が 「無能勝大明陀羅尼經 (1234)」 に見られますが、それは「神力」を表した言葉であって、「大明神」 という神は、仏教経典には現れないのです。
したがって 溪嵐拾葉集 にやたらと出て來る「大明神」 は 極めて日本的な解釈で、
溪嵐拾葉集の「天竺ハ佛生國也。震旦ハ彌佛國也。日本神國也。故ニ國ハ神明化導盛也」 という言葉に続けて、故に悲華経にいわくと上記の引用文が続くわけですが、 殆ど仏教とは言えないローカライズされた解説です。
このように、経典に無い言葉をでっち上げて解説を付ける事例が天台には多く見られるのです。
しかし日蓮聖人は原典の経文をチェックしていませんので、天台をそのまま信じたのでしょう。
このブログを読んだ人は、原典に当たる事の大切さを知ってください。
付法蔵経
引用 付法蔵経に記して云く「我が滅後一百年に阿育大王という王あるべし」
書簡 開目抄上 112
「付法藏經」の名前だけは佛名経にもリストされてあり、論疏にはその名がたくさん見られるのですが、経そのものが大正蔵経に記載が在りません。
また、同じものかとされる「付法藏傳」という名は 四巻或いは、六巻、七巻という記が、中国仏教史に観られます。
しかし双方とも名前ばかりで、その内容はないのでチェックは不能でした。
引用の文が 開目抄のみにしか見当たらないので ?? マークとせざるを得ません。
仏蔵経 引用に見る超省略
引用 仏蔵経に云く「大荘厳仏の滅後に五比丘あり一人は正道を知つて多億の人を度し四人は邪見に住す此四人命終の後阿鼻地獄に堕つ ー以下略ー
書簡 守護国家論 113
実際の経文はT0653_.15.0794c29:ページから:
「 舍利弗。大莊嚴佛及大弟子滅度之後。 漸多有人 知沙門法 安隱快樂出家學道 而不能知 佛所演説 甚深諸經 無等空義。多爲惡魔之所迷惑。時説法者心不決定説不清淨。説有我人衆生壽命。不説一切諸法空寂。
其佛滅度百歳之後。諸弟子衆分爲五部。一名普事。二名苦岸。三名薩和多。四名將去。五名跋難陀。」
(此処までの長い文章が 「大荘厳仏の滅後に五比丘あり」 と略されています。 更に
「舍利弗。此普事比丘。苦岸比丘。薩和多比丘。將去比丘。跋難陀比丘。是五比丘爲大衆師。
其普事者 知佛所説眞實 空義無所得法。 餘四比丘皆隨邪道。多説有我多説有人。"
於佛法中不相恭敬。相違逆故以滅佛法。
舍利弗。若有人知普事比丘所説空法信受不逆。
我知此人曾於先世供養五千佛。有六十八億那由他人已入涅槃。
何以故。舍利弗。此人於過去世諸佛所種諸善根。
修習無所得空法應入涅槃。
舍利弗。是苦岸比丘。一切有比丘。將去比丘。跋難陀比丘。
皆計有所得。説有我人衆生壽命徒衆熾盛。
是四惡人多令在家出家住於邪見。」
此処までの長い文が (一人は正道を知つて多億の人を度し四人は邪見に住す) と略され、
舍利弗。是四惡人。所有在家出家弟子。常相隨逐乃至法盡。
舍利弗。是中有人知非法事。受以爲法勤心行之。猶尚不得順忍。
況得須陀洹果。是人猶尚不作消供養事。何況能生順忍。
舍利弗。爾時在家出家弟子。多墮惡道不至善道。是諸惡人滅佛正法。
亦與多人大衰惱事。
又是惡人命終之後。墮阿鼻地獄。」
この文章が (此四人命終の後阿鼻地獄に堕つ) と略されたのです。
文字数で単純に比較すると 512文字の経文が 51 文字、 1/10 に短縮されています。
この後もこの調子で、経文は長々と続くのですが、 日蓮聖人は 思いっきり端折って引用しました。
間違いとは言いませんが、正解とするにも し難いです。
原点に当たると 時々こういう面白い事にも出くわします。
法滅尽経の例のように、「趣意」の断り書きが無く、余りにも端折り過ぎなので??マークをしたもので、こういう事もあるという事例の一つを紹介しました。
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