2016年5月25日水曜日

21 大仏頂経 大梵天王問仏決疑経 (偽経)

2016/06/18 公開

21  大仏頂経


引用    大仏頂経に云く「発心の菩薩罪を犯せども暫く天神地祗と作る」と

書簡    十法界明因果抄  106


「大仏頂経」 という経ですが、大佛頂經十卷 と 大佛頂經第一卷  慧琳撰  の名が一切経音義リストされてはいましたが、大正蔵経には該当する経が有りませんので 経文には当たれませんでした。
したがって経文の言葉から探した結果です。


「犯罪初發心菩薩」 という言葉は 虚空藏菩薩經 (0405) などに 二度出て來ますが、いずれも意味合いが違う文章に出て來るだけです。


天神地祗 という言葉は、経典には一度も出て来ません。 


傳法正宗記 (2078) 51.0717a02:ページに: 天神地祗皆見而 という言葉が使われていますが、蔵経ではこれのみで、これも引用の文と意味合いが違います。 従って 

「大仏頂経に云く「発心の菩薩罪を犯せども暫く天神地祗と作る」 という引用の出所は不明でしたので ??評価です。




大梵天王問仏決疑経 (偽経)


引用    大梵天王問仏決疑経に云く「吾に正法眼蔵の涅槃妙心実相無相微妙の法門有り教外に別に云う文字を立てず摩訶迦葉に付属す」とて

書簡    聖愚問答抄上  107



大梵天王問仏決疑経は存在するのか?

この経は偽経だとの定説があります。 もちろん大正蔵経には登載されていません。

類似の文章も経文には在りませんでした。


引用文の内容ですが、正法眼蔵の涅槃妙心 実相無相微妙の法門有り ・・ よく言うよ という気がします。

教外に別に云う、文字を立てず・・・・ 当に禅宗っぽいところです。

釈迦は 仏道修行は、「如説修行」 だと言って、 経を 読誦し、書写し,解説(げせつ、説を理解)せよと 千回以上もいろいろな経に述べています。

文字が無ければ読誦も書写も、有ったものではありません。
文字を立ててこそ、如説修行は成り立つのです。

文字を立てず などと言うのは当に中華魔道の真髄、仏教ではあり得ません。  

T0738_.17.0542b24ページ に:佛言。吾般泥洹後。當有五逆惡世。當斯之時眞丹土域魔事當盛。閉塞正道。  

仏説分別経には上記のように像法時代に 支那域が魔道に染まると説かれています。 更に末法時代には最悪となると阿難に答えています。

その原因の一つに、 「無復學問坐禪行者」 との言葉が前ページに書かれています。

座禅行者は何も学ばない、つまり支那発生の座禅からは何も学べないと釈迦は言っているのです。

それでも勝手に座禅するのは自由です。 

禅(宗)は経文を捨て(釈迦を離れ)、道理を追求して独自の生きる道を求める事です。
坊主すら仏教の一部と思っている人が多いのですが、仏教の一部と勘違いする事は、禅にとっては恥なのです。

支那域で像法以降に発生した仏教書を拠り所として学ぶ事は インドカレーを中華味にして食べる事と同じだと、ブログの初期から書いて来ましたが、分別経に出会って、その感覚が正解だと知りました。 

それ以来自分は 中華魔道 という造語にそれを表しています。 

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