2016年5月26日木曜日

5 「経に云く」2  無明卵

2016/05/30 (公開)

「経に云く」 として引用されたもの 2
 
引用 C  「爰を以て経に云く「一切衆生は無明の卵に処して智慧の口ばしなし、
      仏母の鳥は分段同居の古栖に返りて 無明の卵をたたき破りて一切衆生の鳥をすだてて     法性真如の大虚にとばしむ」 と説けり  取意。 

書簡   新池御書 56


これは趣意としてありますから、日蓮聖人の経文の理解が書かれたものです。
弘安三年二月 五十九歳の書簡ですから、亡くなる二年前です。 本尊曼荼羅のデザインも確定し、思想も完成域に達していた時期の書です。 

経にいわく云々としら引用ですが、どの経のどの部分を元に纏めたのかが判然としません。 もちろん自分の勉強不足もありますが、

その何を問題として取り上げたかですが、 書簡は、「経にいわく」「取意」として、
「衆生を無明の卵に例えて、それを温めて孵化し巣立ちさせる母鳥が仏だ」と言っています。

趣意とは言え、そのようなストーりーを書いた経はありませんので、元になったと思われる部分、「無明卵」 から探す事が出来る筈です。

「無明卵」に就いては大般若波羅蜜多經 (0220)と中阿含經 (No. 0026)に出て來るのみです。
しかしその内容は、日蓮書簡の趣意の内容に結び付くのか、微妙なところです。

その経文は 中阿含經 (No. 0026)の .01.0679c02c~08:ページ当たりで、

入胎。然不如汝言。梵志。我於此衆生無明來。無明樂。無明覆。無明卵之所裹。  
我先觀法。我於衆生爲最第一。 猶鷄生卵。 或十或十二。
隨時念。隨時覆。隨時暖。隨時擁護。 彼於其後。鷄設放逸。
於中有鷄子。或以口嘴。或以足爪。啄破其卵安隱自出。彼於鷄子爲最第一。我亦如是 

とある文章が唯一で、一部の内容が最も近い文章です。


「一切衆生は無明の卵に処して」と部分的には書簡とピッタリの言葉は 「施設論」に見られます。

施設論 (1538) 0519b26ページに:「 一切衆生處無明中住著無明無明卵 障覆慧眼我當破無明卵 」 

智慧の口ばし以降の話にはなりませんが、この表現は書簡の趣意に影響したかも知れません。

しかしながら、「経にいわく」として一文とするには、経文と余り合致しないので、評価は?です。

また 「法性真如の大虚」 の言葉は 大般若波羅蜜多經 (0220) .07.019a05ページの:

有能守護法界 法性眞如 實際不思議界虚空界不。  から出た言葉かと推測します。

此処に挙げた引用の「経にいわく」の前段は、(題目を唱れば 天然と三十二相八十種好を備うるから簡単に釈尊程の仏に成れる) の文で、鳥の卵とそれを孵化する母鳥に例え話を持って來る流れです。 

いずれにしても、経文を端折って部分、部分ピックアップするやり方は何度か出てきます。
中には複数の経の部分々々をまとめたり、端折り過ぎたりがあるので、それらは全て?として今後も示してゆきます。


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