2016年5月25日水曜日

20 大品経(摩訶般若波羅蜜經)  捏造?

2016/06/18(公開)

20  大品経 (摩訶般若波羅蜜經)


引用    大品経に云く「初発心の時即ち道場に坐す」  


書簡    十法界明因果抄  104



大品経の名は蔵経にはありませんが、日蓮聖人が大品経として引用した文は 「摩訶般若波羅蜜經  (0223)」の文のようです。

 その所謂大品経には 「即坐道場」 の言葉は使われていません。

首楞嚴義疏注經 (1799) 39.0928c11: ページには 「大品云從初發心時即坐道場轉法輪度衆生"」云々と書かれていますので、皆それを信じて使用するわけで、 オリジナルの大品経のチェックなど、思いもよらないようです。

首楞嚴とはシュレンゴンと読み、英雄+武勇の合成語です。 
首楞嚴義経となずけたその義疏は19巻、大正蔵経の仕様で145ページに渡る大作ですが、釈迦の説いた経ではありません。
大宗の僧の解説疏ですので自分はこういう事が無ければ目もくれないものでした。 

その疏に上記のように 「大品いわく、なんたらかんたら・・」とある文章を、日蓮聖人がそのまんま引用したと言う訳です。

「初発心の時道場に座す」の言葉は半ば仏教界の常識でしたから、大品(摩訶般若波羅蜜經) に在ると言われれば、ない筈が無いと誰もが疑いもしない。
日本仏教はそういった空気の中に醸成されて来たのだという事が、これまで示した多くの事例から、そろそろ判ってもらえたでしょうか?


引用    大品経に云く「舎利弗仏に白して言く 世尊五逆罪と破法罪と相似するや、
仏舎利弗に告わく相似と言うべからず 所以は何ん若し般若波羅蜜を破れば即ち十方諸仏の一切智一切種智を破るに為んぬ、 


書簡    十法界明因果抄  105


T0223_.08.0305b07: 須菩提。若破般若波羅蜜。毀呰般若波羅蜜。 則爲破十方諸佛一切智。

前半は舎利弗、後の言葉を勝手に中略して、
後半は上記須菩提への 身口意業の説明の経文とを
中間の650文字程をすっ飛ばして 一つの文章としてアレンジしています。

前半の舎利弗の問いへの答えで、仏がその「所以」としている文章は304c26ページの文章ですが、それをずっと後の須菩提との会話、305b07ページ の答えと 繋いで一言にした訳ですから、
これは経文を勝手に繋いで造った文章なのです。 

中途の文言を端折り過ぎとも言えますが、「所以は何ん」 とされた言葉は、須菩提との会話の文章で、別の問いに対する答えですから、 どうせ経を読まないとはいえ、余りにも読者を馬鹿にした端折り方ではないでしょうか。

捏造経文 と言って過言ではありません。 よくある事なのですが、この事例も釈迦の経文をないがしろにする、嘆かわしい行為です。


天台、法華、禅、真言、どの宗派も同様の、中華仏教疏を原典にしている事を忘れずに、

原典の経に当たる事の出来る現代では、注意して仏教をもっと見直さなければならないでしょう。







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