2016年5月25日水曜日

28 涅槃経 3

2016/06/29  (公開)


28 涅槃経 3


引用    涅槃経に云く「内には智慧の弟子有つて甚深の義を解り外には清浄の檀越有つて仏法久住せん 
 
書簡    曾谷入道殿許御書[五綱抄] (1273 54歳) 129



法華文句記  T1719_.34.0353c19~c20: 有人引大經中内有弟子解甚深義。不爲利養不生諍競。外有清淨檀越。佛法久住   (No. 1719 湛然述)

内には・外には、 これは法華文句記 ((No. 1719 湛然述)  湛然述 の言葉である。

実際の涅槃経の文と比較して、その大意に於いては間違いとは言えないかも知れないが、
実際の経を読んだ者にとっては都合良いところを探して端折り過ぎた、と言わざるを得なくなる。

実際の経文は

12.0472c23ページ~: 善男子若佛初出得阿耨多羅三藐三菩提已。
未有弟子解甚深義。彼佛世尊便涅槃者。當知。是法不久住世。

復次善男子。若佛初出得阿耨多羅三藐三菩提已。
有諸弟子解甚深義。佛雖涅槃。當知。是法久住於世。

復次善男子。若佛初出得阿耨多羅三藐三菩提已。
雖有弟子解甚深義。無有篤信白衣檀越敬重佛法佛便涅槃。當知。是法不久住世。

復次善男子。若佛初出得阿耨多羅三藐三菩提已。
有諸弟子解甚深義多有篤信白衣檀越敬重佛法。佛雖涅槃。當知。佛法久住於世

復次善男子。若佛初出得阿耨多羅三藐三菩提已。
有諸弟子解甚深義。雖有篤信白衣檀越敬重佛法。而諸弟子演説經法貪爲利養。不爲涅槃佛復滅度。當知是法不久住世
この先も 有諸弟子解甚深義 の後にいろいろな条件・環境によって法の久住か不久住となるかが、 延々と巻十八の終わりまで、語られている。


日蓮聖人は涅槃経を読まずに、 法華文句記 の 湛然述 の分をそのまま拝借している。
此の分を読む曾谷入道は、涅槃経にはそう書いてあるのだろうと思い込むが、釈迦の教えのニュアンス迄はイメージする事は出来ない。 

先のブログ17番での大経=大般涅槃経 を取り上げましたが、 この法華文句記の「有人引大經中」の文章で気づくのですが、 大般涅槃経 を 湛然が 大経 と書いていたのです。 

先にブログ22の大涅槃経にも書きましたが、摩訶止觀も: 大經云と、そのまま引用しています。
頭に大の字の着く大きな経は他にもありますが、支那では大(般)涅槃経を「大経」と呼んでいたのですね。




引用    涅槃経に云く「善友を遠離し正法を聞かず 悪法に住せば 是の因縁の故に沈没して阿鼻地獄に在つて、受くる所の身形縦横八万四千由延ならん」と

書簡    立正安国論  130


この引用文の元になる部分を涅槃経の中から探します。

是人爾時遠離善友不聞正法 雖時得聞不能思惟雖復思惟不思惟 

という言葉が 12.0575a03ページに在りました。

そして 阿鼻獄に在って体形が 縦横八万四千由延 という大きさになると言う言葉も、

能作種種非法之事是因縁故 沈沒在於阿鼻地獄 所受身形縱廣八萬四千由旬 
 (0374)0575a27ページに在ります。


その間の経文、行番号 a03 ~a27 が、「悪法に住せば」 と一言になる訳でしょうが、実際の経文は 以下の通りです。

是人爾時遠離善友不聞正法。

雖時得聞不能思惟。雖復思惟不思惟善。不思善故如惡法住。

惡法住者則有六種。一者惡。 二者無善。 三者汚法。 四者増有。五者惱熱。六者受惡果。
是名爲沒。何故名沒。 無善心故。常行惡故。不修對治故。
是名爲沒。所言惡者。聖人呵責故。心生怖畏故。善人遠離故。
不益衆生故。是名爲惡。言無善者。能生無量
惡果報故。常爲無明所纒繞故。樂與惡人 爲等侶故。
無有修善諸方便故。其心顛倒 常錯謬故。是名無善言。
汚法者。常汚身口故。汚淨衆生故。増不善業故。遠離善法故。是名汚法。
言増有者。如上三人所行之法。能増地獄畜生餓鬼。不能修習解脱之法。
身口意業不厭諸有。是名増有。
言惱熱者。是人具行如上四事。 能令身心二事惱熱。遠離寂靜則名爲熱。
受地獄報故名爲熱。燒諸衆生故名爲熱。燒諸善法故名爲熱。
善男子。信心清涼是人不具。 是故名熱。
言受惡果者。是人具足行上五事。死墮地獄餓鬼畜生。
善男子。有三惡事復名惡果。一者煩惱惡。二者業惡。三者報惡。
是名受惡果報。

善男子。是人具足如上六事。
能斷善根作五逆罪。能犯四重能謗三寶用僧鬘物。能作種種非法之事。
是因縁故沈沒在於阿鼻地獄。所受身形縱廣八萬四千由旬。

悪法に住すと入っても六種あったり、其上で五逆在をなして善根を断じ云々と、いろいろの因縁があって、阿鼻地獄に沈み、バカでかい体形になると書かれているのです。

安国論を受け取った 宿屋入道は多分そのような事は知らなかったと思うので 端折り過ぎはいけません

「悪法に住せば」 と一言にしても、間違いとは言いませんが、 若いころの論は こういうエイヤッと勢いで途中を略して、都合よく纏めてしまう事が多いようです。 







0 件のコメント:

コメントを投稿